21歳、大学生。社会的にも、体力的にもなんだって出来る。でも実際は、将来に対して悩んだり、日々悶々と暮らしている。尊敬する大人や同世代の人たちもこんな風に悩む事もあるんだろうか。会って実際に聞いてみよう。それくらいは一人で出来るはず。ひとりでできるもん。
音楽プロデューサー、編曲家でありながら、バンド「東京事変」のベーシストでもある。
スピッツ、椎名林檎、平井堅、スガ シカオ、Chara等様々なアーティストのプロデュースをしており、日本を代表する音楽プロデューサーの一人である。
また、2009年には、日本武道館で自ら企画した「亀の恩返し」を大成功させ、世代問わず様々なアーティスト、リスナーから、支持されている。
「音楽だけはずっと鳴り続けていた」
遠藤泰己(以下遠藤):きょうは亀田さんの学生生活を中心にお話を伺いたいと考えています。まずは、音楽との出会いからお聞きしてもよろしいですか?
亀田誠治(以下亀田):母親が非常に音楽を聴くのが好きな人で、今でも記憶に鮮明に残っているのが、物心つく3、4歳のころから家の中でずっとラジオやレコードから音楽が鳴っていたことですね。かかっている音楽は、いわゆるクラシックのモーツアルトといったものから、ビートルズまでさまざまだったなあ。
僕の家族は1962年から66年までアメリカで生活していたので、非常にモダンなアメリカの雰囲気を、両親が、思いっきり吸い込んでいたんです。アメリカの家は、今でも8mmビデオに残っているんですが、まぁものすごく綺麗で、芝生があって、「※1 奥様は魔女」に出てくるような雰囲気なんですよ。
遠藤:ザ・アメリカンな雰囲気ですか?
亀田:そうそう、そういった雰囲気を吸い込んで母は日本に帰って来て。家は、昔ながらの和風の家屋なんだけど、音楽だけはアメリカにいた頃と変わらずずっと鳴り続けていたというような環境でした。そこで、自分の音楽に対する扉が開かれたと思います。
両親が、「なんかこの子は音楽に反応するんだな」と思ったからか、それとも教育熱心な家庭ではあったので、英才教育の一環かもしれないけれど、3歳の時にピアノを習いに行かされて。
先生だったお姉さんがすごくきれいな音大生で、大好きになっちゃって。2年間くらいすごく一生懸命に練習してたんだけど、転勤族だったので、転勤と同時にピアノはそこでやめてしまいました。それが多分5、6歳のころかな。
その後も引き続き家の中では音楽が鳴り続けていましたね。ちょうど小学校2年生の頃にビートルズの赤盤と青盤が発売されたのですが、街で流れているのを耳にして、すぐに欲しいなと思い買いに行きました。
遠藤:自分のお小遣いでですか?
亀田:んーどうだったかな。自分のお小遣いにしてはローンで買わないと買えないくらいかなり高かったから(笑)、買ってもらったのかな。とりあえず、それを夢中になって聴いていましたね。
あと、これも母の影響なんだけど、僕が小学校4年生のときに、母が通信教育で「あなたにもできる、クラシックギター教室」みたいなのを始めたんです。なので、クラシックギターが家に転がっていました。
その時僕はビートルズを聴いて、いつのまにか、クラシックギターの低音弦で「Hello, Goodbye」のベースラインをレコードに合わせて自然と弾くようになっていました。
遠藤:小学生なら、ベースラインより、キャッチーなメロディーとかに反応しそうですけどね。
亀田:そのときからもうベースに反応して、何回もレコードの針を戻して聴いていましたね。それが小学校5年生くらいだった。
※1 奥様は魔女:1964年にアメリカで放送された、コメディードラマ。新婚相手が実は魔女だったという珍騒動をコミカルに描いた。日本でも大ヒットとなる。












