加藤典洋先生インタビュー - 批評家に訊く! - 6

深刻な規模の財政赤字や、急速に進行する少子高齢化など、現在の日本には、解決すべき、喫緊の課題が山積みです。それにもかかわらず、いつまでも、問題への有効な方策を見いだせないことが、日本人に、じぶんたちの社会にたいする信頼感をうしなわせ、ひとびとを、よりいっそう、将来の不安へと駆りたてています。このような状況のなか、これから、わたしたちに必要なのは、一時的な安心を得るために、出来あいの社会の見取り図にとびつくことなどではけっしてなく、まずは、ひとりひとりが、さまざまなすぐれた考え方に接し、自分で考える方法を身につけ、それぞれの場で、問題を解決するために、考え続けていくことなのではないでしょうか。

「壁(ウォール)」から「窓(ウィンドウ)」へ

社会主義国家の崩壊で、マルクス主義が影響力を失って以後、人々は、共通して関心を持つ領域を失ってしまったと言われますが、加藤先生は、現在の社会の状況について、どのようにお考えですか?

 ぼくが考えるのは「壁(ウォール)」から「窓(ウィンドウ)」へ、という変化です。

 去年、ベルリンの「壁」が崩壊して20年になりました。メディアで小さな特集などもされました。でも、あの「壁」は、昔からあったわけじゃない。1945年にドイツの分断があり、61年にその分断された二つのドイツ間の通行を遮断するものとして「壁」が構築され、それが89年に崩壊したんです。そしてそれから20年がたちます。東ドイツから西ドイツに逃亡する人間が増加した。それで「壁」ができた。共産主義が失敗して、理想実現の展望がなくなったとき、沈む船から鼠が逃げ出すように、市民の逃亡がはじまり、それを防ごうと東ドイツ政府が「壁」を作った。そしてそれが崩壊した。それから20年がたった。そこにわれわれはいるわけです。

 日本では、61年というと、60年安保の直後です。見田宗介は、流行歌の歌詞などに注目して、そこで、「現実」という言葉の反意語が、50年代は「理想」、60年代になると「夢」、70年代前半以降あたりからは「虚構」に変わるということに着目して、日本の戦後を、「理想」、「夢」、「虚構」という変数に応じて変化してきたという仮説をたてました。社会学者の大澤真幸は、見田のこの仮説をもとに、この三項性は、大きく「理想」から(「夢」を中間項にして)「虚構」へと移る二項性へと要約できると考え、90年代の変化に焦点をあて、「理想」から「虚構」へ、そして「不可能性の時代」へ、という社会変化を描き出して、『虚構の時代の果て』、『不可能性の時代』という二冊の本を書きました。見田は、50年代を「理想の時代」、60年代から70年代の前半までを「夢の時代」、70年代半ばから80年代、90年代を「虚構の時代」と呼んでいます。大澤は、50年代から90年代半ばまでを「理想の時代」から「虚構の時代」への推移期と見て、95年以降を「虚構の時代」の「果て=終わり」とし、それ以後を「不可能性の時代」と呼んでいます。見田の分析では、「夢」の時代に焦点の一つがあてられ、竹田の『陽水の快楽』も取り上げられているのですが、大澤真幸の場合は、「夢」は、中間項として格下げされる形になっているのが、両者間の大きな違いです。

 見田の本では、「夢の時代」が全共闘の時代なんです。そして、ここに、見田宗介は、時代の高揚の理由を見ています。「理想」は象牙の塔を中心に育まれたが、それが「書を捨てて街に出」て「夢」になったということでしょう。「理想」は拡散して「夢」になる。薄まり、しかし、広まったのです。でも、大澤は、そこの時点には、時代変化の基軸の意味はないと考え、50年代の「理想」から80年代、90年代の「虚構」への変化として前史を構想し、90年代半ばの「虚構」の時代から次の時代への変化に自分にとっての思想的な意味がある、という構図を作りました。誰もが自分の場所から歴史を作るので、それはよいのですが、その結果、60年代後半から70年代前半にかけての「夢の時代」は格下げされ、削除される。その時代を生きたぼくなどから見ると、それは一種の、巧妙な思想的な暗殺と映ります。

 ところで、ここでベルリンの壁のことを考えてみましょう。すると、この見田の言う「夢の時代」というものが、世界史的にも意味をもっていることがわかります。壁があった時代というのは、1961年から89年までです。ちょうど見田の「夢の時代」、「虚構の時代」に重なっています。それでは、そこから見えてくる「夢の時代」の意味とは何なのだろうか。それは、マルクス主義国家による「理想」の実現のめどは、もうたたなくなった。でも、たとえそうだとしても、別種の更新されたマルクス主義の考え方、ないし社会主義の考え方によって、とにかく何らかの革命を実現して、いまの理不尽な現実を改革することは可能なんだ、という「夢」が、まだ人々に信じられ、理想実現への確信が、根拠のないまま、共有されていたということです。ベルリンの壁は、ある意味で、こちら側とあちら側を隔てることで、その「夢」を、壁の双方の人々に保証するものだったのです。むろん東側の人々には、壁の向こうには「自由」がある、という夢を、そして西側の人間には、いまはソ連も中国もひどいけれども、とにかく社会変革、なんらかの矛盾克服に向けた「革命」は可能なんだという夢を。この二種の「夢」を二つの側の人々に与え続けた。

 「虚構」の時代にあっても、その反現実という希求の形は生きていたと言えるでしょう。その意味では、「虚構」とは「夢」を別の形で生き延びることでもあったし、「夢」の死を別様に生きるサバイバルの形でもあったのです。そして、1989年のベルリンの壁の崩壊は、この「夢」と「虚構」がともどもにその根拠をなくすということだった。でもそれは、「夢」がなくなるということが、世界史的できごとだったことを、逆にわれわれに示唆しているのではないでしょうか。

 つまり、それにしたがうなら、ベルリンの壁の構築前が「理想」の時代、ベルリンの壁の存在した時代が「夢」と「虚構」の時代、そしてベルリンの壁の崩壊以後は、理想、夢、虚構という形で存在してきた「あちら側」と「こちら側」の区別がなくなる時代、彼方性というものが根拠を失い、消える時代だということになるかと思います。でもそれは、どういう時代なのか。

 かつては、マルクス主義は、はっきりした未来への指標でした。しかし、それに赤信号が点り、「壁」が生まれ、未来は壁の向こうに閉ざされ、不可視となりました。でも、壁の向こうが見えなくなったら、理想は夢に代わり、それがさらに彼方性の保持のために虚構という営為を必要とするものとなると、「壁」はスクリーンに代わった、と思います。人々は、その壁の向こうを夢見る代わりに、それに「虚構」を映し出しはじめたのです。でも、その果てに、今度はその「壁」が消え、「スクリーン」もなくなり、彼方性それ自体が消滅するという事態が現れた。今までは壁があったので、壁の向こうは見えませんでした。ですから、まだ壁の向こうに夢を託すことができました。その夢が怪しくなったら、壁をスクリーンにして、壁に虚構を映し出し、彼方を作り出すことができたのです。でも、壁がなくなってしまったでしょう。そしたら、壁のこちら側でも、向こう側でも、「あちら側」への夢想の余地が奪われる結果となる。自由世界と思って来てみると、過酷な競争社会と生存競争の世界のなかで自分には敗者の位置しか残されていないという現実が待っている。いつかはこの現実の不合理、理不尽がただされるものと信じていたけれど、もうそういう余地はない。未来がどこまでも見えるし、インターネット世界はその「窓(ウィンドウ)」を通じて何もかもを可視の存在に変えてしまう。オウム真理教の出現というのは、その彼方性の消滅が引き金になった、とぼくは思います。ハルマゲドンが信憑性の根拠を失ってはじめて、招き寄せるべきものになったのです。その先に何が来たか。ベルリンの壁崩壊後、20年という幅で考えれば、そこに新しく生じたのが、2001年の9・11の同時多発テロだったことはたしかだろうとぼくは考えますね。

 2001年に9・11が起こると、それからほどなく、『世界がもし100人の村だったら』という本が世界的に流行したでしょう。つまり、一方では、摩天楼が聳え立ち、もう一方には、非常に極貧な世界が広まっている。これまでは、その間に「壁」があったから、それは夢と幻想とエキゾチシズムを生み出す機構になりえていたのですが、「壁」がなくなり、世界は吹きっさらしの荒野のようにどこまでもさえぎるものなく見えるうえに、数億の「窓」の到来によって、見えないものまで見えるようになった。そしたら、何が起こるか。こちら側では魔天楼、非常に裕福な世界があり、向こう側は、大変に貧しくて、日々、子供たちが死んでいく。二つの世界の間には物質的にも精神的にもあまりに大きな落差がある。そのような両極端な状況にいる人々が、毎日、顔を突き合わせて生きる世界が現れるようになっていたわけです。その結果、9・11が起こった。そして、それに続いて、「世界がもし100人の村だったら」、つまり、世界は一つなんだという意識が、強く世界の人々を捉えた。これと同時に、この地球は一つで、しかも、果てがある、有限なんだという事実も、はっきりしてきた。そして人々に共有されるようになってきた。ぼくは、それを、「大きな気がかり」、世界心情とでも呼ぶべきものが、生まれたのではないか、と一度述べたことがあるのですが、「大きな夢」は消えたけれど、これに代わり、9・11をへて、「大きな心配」が、人々をつなぐものとして、現れるようになっているのではないでしょうか。

 以前、竹田、橋爪大三郎、見田、宮台真司という人々と一緒に2004年に明治学院大学で行ったシンポジウムの中で、ぼくは、「世界心情」という言葉を使い、そういう見通しを述べました。9・11以降、新しく生まれた「世界心情」とは何か。それまでも、われわれは、自分たちの世界の外側で起こっていることをわがことのように感じるようになっていて、アフガン空爆の際にも、アフガニスタンの人たちは気の毒だというような同情の感情を抱きました。でも、9・11以降、たとえば世界は今後どうなるのだろう、人口問題、資源問題、CO2など環境の問題、南北問題、アフリカの問題、格差の問題、それらの山積する問題はどうなるだろう、という心配、懸念、気がかりそれ自体の意味が、変わったのではないか、とぼくは思うようになりました。それまでは、この世界への気がかりはぼくのものだった。しかし、そこに多我性が現れるようになった。つまり、この世界への気がかりは、ぼくだけではなく、世界の多くの人々が、自分と一緒に共有しているはずだ、という確信が自分の中に生まれていることに気づいたのです。きっと世界は何とかなる、矛盾は克服され、世界は理想に近づく、という「夢」がかつては自分のまわりの多くの人間に共有されていました。そういう確信が誰のもとにも生きていた。それが「夢の時代」ということですが、「夢」が消えて、いま「世界への気がかり」が誰にも共有されるようになったのではないか。ぼくはそう考えるのです。

 大きな夢の物語は消えたけれど、その代わりに、「大きな気がかり」というものが人々をつなぎ、結びつけ、再び、地球の問題に向け、「大きな物語」を生み出すかもしれない。地球は有限です。なんとかしないといけないと言われたローマ宣言からもう半世紀がたとうとしています。でもこの世界への「気がかり=配慮」が、人々をもう一度むすびつけるかもしれない。そういう下部構造的条件が、9・11以降、出てきているんじゃないかとぼくは考えています。大澤さんは、「夢の時代」を格下げし、抹殺したけれど、ここには「夢」から「配慮」へという大きな動きがあるのではないか、ということです。マルクス主義以降の人々の共通関心ということでは、ぼくは今こんなことを考えています。

(第7回に続く)

ARTICLE DATA

更新日
2010年10月18日
CATEGORY
加藤典洋先生インタビュー
EDITOR
柳井

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