竹田青嗣先生インタビュー - 哲学が世界を変える! - 4

多くの日本人は、激変する労働環境など、社会の急激な変化に戸惑っています。しかし、かつて学生運動が全盛だった時代とは異なり、現在の日本の若者は、社会運動にほとんど可能性を見ていません。これは、社会への関心を持っているにもかかわらず、わたしたちが、自分と社会のあいだに、明確なつながりを見出すことができないからではないか。このような状況の中で、これから、わたしたちは、自分と社会をつなぐ言葉をどのように編みあげていけばよいのでしょうか。

私が強調したいのは、志ある若い世代には、批判のための批判はきっぱり止めて、全力で能力を積み、社会の「公正」や「正義」の公準の議論を根本的にやり直してほしい、ということです。

いま批判思想はどうなっているのだろうか。資本主義に対する批判は近代のはじめからいろいろ出てきた。宗教的なものもあったし、ユートピア思想もたくさん出てきた。しかし最も本格的な思想的批判はマルクス(※1)主義だった。ハンナ・アーレント(※2)は、マルクス主義とファシズムという二つの全体主義が、近代資本主義の最も強力な対抗思想だったと言っている(『全体主義の起源』)。思想的にもっとも原理的なものはもちろんマルクス主義で、自由競争と私的所有を廃棄するのが最も根本的解決法だと主張した。しかし、私的所有を廃止すると、自由の配分の原理を確保できない。この問題をマルクス主義者たちは十分考慮しなかった、というか無視した。マルクスの構想は必ずしもそういうものではなかったかもしれないが、マルクス主義では、知的エリートが権力を独占して民衆に「平等な生活」を保証し"配給"する、というのがその基本理念になった。結局のところこの理念では、政治権力の「正当性」は確保されず、覇権闘争が国家の原理になる。じっさい実力による権力闘争と、勝者の専制的権力支配、というのが、社会主義国家が例外なく進んだ道だった。ここでは「自由の相互承認」はありえないわけです。

二十世紀後半には、マルクス主義に変わる批判思想としてポストモダン思想が現われ、先進国にあっというまに広がった。60年代以降です。これは、マルクス主義のドグマ主義への対抗思想という性格が強く、基本的に「自由」の思想だった。しかし理論としては、マルクス主義の万人の「平等」という理想理念に対して、論理相対主義による一切の制度や権威の批判というものだったから、社会批判としては有効だが、社会構想の原理じたいをもっているわけではない。あえて哲学的に言えば、その原理は、"原理をもたない"という原則によって「精神の自由」を確保しようとする、「自己意識の自由」の原理です。

ともあれ、これは新しい社会構想に進めないので、さすがにいまは、たそがれつつある。日本の批判思想家は、まず欧米の新しい思想をもってきてこれに依拠する習慣が身に付いているために、フランスのポストモダン思想から英米系の分析哲学に鞍替えした人も多い。しかし、この二つは理論の原理がほとんど同じで、双方とも相対主義です。あえていまその後の最新思想を言えば、アメリカリベラリズムというのが出てきている。

これはだいぶ前にロールズ(※3)という人が『正義論』を書いたのが出発点です。アメリカでははやくからマルクス主義に見切りをつけていたので、いちおう資本主義社会と民主主義社会を是認する。そこで、民主国家における社会的な「正義」や「公正」という概念を根拠づけられるかという議論です。ポストモダニストはロールズのような議論を資本主義の現状を是認するものとして馬鹿にしていたふうもあったけど、自分では有効な社会理論がだせなかった。ロールズの『正義論』には有名な「無知のヴェール」という理論があります。もしみんながまったく白紙の状態でこの社会を営むとして、つまりその先どういう位置に立つか誰も分からないとして、どういうルールを初めに設定すれば「公正」なルールとして認められるかという仮説的な想定をした。読むとひどく難しいが、大きくは、ルソー(※4)の社会契約論の現代社会版と考えればよい。ただ、基本の出発点が少しちがう。

ルソーでは、みながそれぞれの「自由」(つまり私的利害)を認めあい、その権限を集めて「人民権力」を作る契約をする。これは「対等なルールのもとに自由競争を行なう」という契約です。ロールズの原理は、自由競争の結果格差が出るので、はじめに、これをできるだけ抑制するような取り決めをしておく(「格差原理」など)。それが「公正」の原理になるということです。しかし、哲学的には、ルソーの「社会契約」の原理は、万人の自由の確保という観点からは不可避で必然的な原理だけれど、ロールズの「格差原理」は、人によってどこに正義の重点をおくかが必ず違ってしまうために、恣意的な設定となり、必然的原理にならない。

 じつは「自由の相互承認」の理念のうちには、社会の矛盾があれば、社会の全体的ルールの変更を成員の対等な合意によって行なうことができるという可能性が、もともと含まれているわけです。ロールズでは、これを特定の個別的な正義のルールとして設定しようとしたので多くの異論が現われることになり、以後、社会の「公正」や「正義」の公準をめぐる長い議論が続いてきた。厄介なのは、あまりにもたくさん出すぎて、普通の人が見るともうわけがわからないという点です(笑)。これは問題の焦点が、もともとしっかりした原理をもっていないときによく起こる現象で、議論が恣意的な反論の応答に終始して、スコラ議論になってゆく。議論が有意義に進むと、論点がますますシンプルにクリアになっていくものだけど、その反対になっている。

ルソーは『社会契約論』の冒頭で、「人間は、もともと自由に生まれているはずなのに、いたるところで支配的統治が生じている。なぜ、こんなことになったのかすぐには言えないが、しかし政治統治というものがいかなるものなら、だれもがそれを認めざるをえないもの、つまり『正当性』をもつと言えるのかについては、自分は原理をもっている」と書いた。ルソーの正当性のとらえ方はたいへん原理的です。ルソーとくらべると、ロールズは残念ながら少しツボを外していると思えます。

しかし私は、それでもアメリカの現在の政治理論の進展は、新しい社会構想を作る努力という点では、大きな一歩だと思う。いまはなにより新しい社会構想が大事だからです。私が強調したいのは、志ある若い世代には、批判のための批判はきっぱり止めて、全力で能力を積み、社会の「公正」や「正義」の公準の議論を根本的にやり直してほしい、ということです。アメリカリベラリズムの議論は、フランスポストモダン思想とちがってそれなりに近代哲学を参照している。そこは評価できる点です。しかしすぐに分かるのはホッブズ(※5)、ロック(※6)、ルソー、スミス(※7)、ヒューム(※8)、カント(※9)はよく参照されているが、ヘーゲル(※10)はほとんど読まれていない。ニーチェ(※11)も、相対主義的にしか読まれていないし、フッサール(※12)も全然です。私の考えからは、とくにヘーゲルは決定的に大事です。これから社会構想を根本的にやろうとするなら、ヘーゲルを含めてもういちど近代哲学を全部はじめから読み直したほうがいい。これは耳学問や解説書ではどうしてもダメです。そこからもういちどやり直すつもりでいけば、アメリカリベラリズムの議論の先へ進み出ることができると思う。

私は若い頃にひどく苦労したので、哲学のどこが難しいのか、なぜ読みにくいのかかなりよく理解できるようになった。学問として哲学をやる人には、それはあまり問題ではないかもしれない。たいていは哲学の研究というより、哲学者についての実証研究なので、語学ができて翻訳ができればOKで、あとは関連文献を広く読めばそれでやっていける。しかし新しい社会構想を打ち立てようと思うなら、それぞれの哲学者の方法の核心を解読しないといけない。それができないとまったく何にもならない。誰それは、こんなことをこんな関連で主張しました、というようなことを調べることしかできない。欧米思想の紹介です。近代社会の何がいちばん決定的な問題で、したがって、どういう問題設定をしてどういう問題を解明し、どういう原理を新しく見出すかをつかみたいなら、全部自分で読み直すべきです。それができなければ、残念ながら外国の最新思想の後追いをしているほかはない。たいていの人は、哲学の解読がやっかいなので、これは解説書でパスして現代の流行思想を読んですまそうとする。でもこれだと長くは泳げない。目の前に見えている島にしかいきつけない。誰がとくに難しいかというと、なんといっても、カントとヘーゲルとフッサールが難しい(笑)。だからみんな、ルソーやロックやニーチェぐらいは読むけれど、カントは途中まで読んで解説に頼るし、ヘーゲルは読みはじめでもういやになり、世評を聞きかじり、フッサールは流行遅れと言われているので、はじめから読まない(笑)。でも、この3人の哲学者は、いまとくに誰より重要です。

私の世代は長い間、資本主義と近代国家への根本的な批判ができないか、という形でずっとやってきた。もしこの考えに原理がなければ、つまり根本的な可能性がなければどうだろうか、というのが私の言い分です。もし錬金術に原理がなければ、つまり金を作り出す原理がないのだとしたら、永久運動を作り出す原理がないのであれば、その探求は早くやめないといけない。ながくひっかかっているほど、事態は取り返しのつかないところにまで進む。だから、いまは、この批判思想には可能性がないということが明らかにされる、ということ自身が一つの大きな希望になる。持続的に社会の生産性を上げる資本主義という経済システムが、普遍支配構造を終わらせるために不可避のものであるなら、われわれは資本主義の廃棄ではなくて、資本主義の「正当性」の原理を見出し、これをそのような性格に変えてゆくプランを立てないといけない。新しい合意を作り出し、変革の流れの方向を変えないといけない。つまり新しい社会構想が必要です。それを本格的に作り出すことができるのは、いま二十歳代以下の人だと思う。人間社会は、歴史的に見ても、いまきわめて新しい段階に来ている。近代の資本主義はまだ「自己意識の自由」の中で生きる思春期の資本主義だった。市民社会も同じでまだ青年期を通過していないかもしれない。資本主義の廃止とか近代国家の根本的批判というような観念は、もう100年ちかく続いてきたが、完全に死に体になってしまった。いかに近代を成熟させるかの原理を見出す必要がある。これは新しい世代にしか出来ない課題だと思う。

(第5回に続く)

脚注

(※1)
カール・ハインリヒ・マルクス(1818年ー1883年)
プロイセン王国治下のモーゼル河畔、トリーアに生まれる。マルクスによると、人間は、私有財産制の社会における労働の過程で、労働生産物や人間から疎外される。人間が生み出した労働生産物と人間の関係が、人間の意志から独立し、それ自体の法則によって自律的に運動し、その中に人間を巻き込んでいく。その結果、人間と人間の関係は、物と物との関係によって支配される。労働者が、商品の再生産に必要な時間を超えて労働させられた結果生まれた剰余価値は、資本家によって搾取され、剰余価値を求める資本家同士の競争が激化し、労働者が機械にとってかわられるようになり、失業者が増大する。その結果、社会全体の購買力が低下し、需要と供給のバランスが崩れ、恐慌が起こり、資本主義のシステムは、プロレタリアート(労働者階級)による革命で崩壊し、共産主義へ移行すると考えた。『ユダヤ人問題によせて』『ヘーゲル法哲学批判序説』『経済学・哲学草稿』『ドイツ・イデオロギー』『共産党宣言』『経済学批判』『資本論』
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(※2)
ハンナ・アーレント(1906年ー1975年)
ドイツに生まれたユダヤ人。アーレントは『革命について』の中で、近代に起きた革命を分析した。アーレントによると、革命の目的は自由の創造である。アメリカ独立革命は、統治形態の変革を目的とし、政治的自由の実現に成功したが、フランス革命やロシア革命は、貧困などの社会問題を革命によって解決しようと考え、本来の目的である自由の創設が二の次になってしまったため失敗に終わったと考えた。『革命について』『全体主義の起源』『暴力について』『人間の条件』
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(※3)
ジョン・ロールズ(1921年ー2002年)
アメリカのメリーランド州ボルチモアに生まれる。ロールズは『正義論』の中で、社会契約論の自然状態を読み替えた「原初状態」と、そこから導かれる「正義の二原理」という考えを提出した。「原初状態」では、社会が成立した後で自分がどのような地位や能力を持つ人間になるかを事前に知ることができない「無知のヴェール」と呼ばれる制約が課される。「正義の二原理」は、「平等な自由原理」の第一原理と、「格差原理」と「公正な機会均等原理」の第二原理によって表される。『正義論』『政治的リベラリズム』
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(※4)
ジャン・ジャック・ルソー(1712年ー1778年)
スイスのジュネーヴに生まれる。ルソーによると、自然状態の人間は、他者との交流をまったく持たない孤立した存在であったが、自己保存の危機に直面し、社会を作ることになる。ルソーは、「一般意志」によって運営される直接民主制の社会を構想した。共同体の構成員の共同利益を指し示す「一般意志」と、共同体の構成員の特殊意志の単純な総和である「全体意志」は、明確に区別される。この社会において、主権は人民にあり、政府は人民の意志を執行する代理人であるにすぎない。共同体の構成員は、自分が持つすべての権利を、共同体に譲渡しなければならない。ルソーは、この権利の完全な譲渡によって、万人の自由と平等、さらには、人間同士の緊密な結びつきが可能になると考えた。ルソーの『社会契約論』の理論は、フランス革命に影響を与えた。『人間不平等起源論』『社会契約論』『エミール』
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(※5)
トマス・ホッブズ(1588年ー1679年)
イングランドのマームズベリに生まれる。ホッブズによると、自然状態で、人間は自由であり、また、人間の肉体的、精神的能力はほとんど同じで、その意味において平等である。そのため、人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」状態となる。ホッブズは、自然状態において、人間が自分の生命を守るために行う活動を自然権として承認した。人間は死の恐怖を恐れ、自然状態を避けるために、理性の能力を使って自然法を見出す。その自然法にもとづき、自分たちの自然権を同時に放棄し、その契約を保証する強大な統治者をつくる。これが国家である。『リヴァイアサン』
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(※6)
ジョン・ロック(1632年ー1704年)
イングランドのリントンに生まれる。ロックによると、人間は「神」によって、自然状態においても、自由で平等な存在であることを保証され、そこでは自然権も存在している。ロックの場合、人間が自らの労働によって富をつくりだし、これを所有することができるという所有権を、自然権のひとつとして承認していることが特徴である。このように、ロックは、ホッブズの主張するような「万人の万人に対する闘争」状態である自然状態を否定した。しかし、自然状態は不安定であるため、政府がつくられることになる。国民と政府の関係は信託者と受託者の関係であり、ロックは、政府の信託違反を理由とする国民の抵抗権を承認した。『人間知性論』『統治二論』
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(※7)
アダム・スミス(1723年ー1790年)
スコットランドに生まれる。アダム・スミスは、市場経済の分業のシステムにおいては、各人が自分の利益のために行動することが、個々の人間に利するだけではなく、社会全体の富の増大にも貢献すると考えた。また、市場経済の交換のシステムは、富の分配の有効なシステムでもあると考え、市場経済を正当化した。財の価値の尺度は労働であるとした、スミスの「労働価値説」は、カール・マルクスに影響を与えた。スミスは経済学の父と呼ばれ、市場メカニズムの問題点を指摘し、マクロ経済学の基礎を築いたケインズなど、多くの経済学者に影響を与えた。『国富論』
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(※8)
デイヴィッド・ヒューム(1711年ー1776年)
スコットランドのエディンバラに生まれる。ヒュームによると、唯一確かなものは「知覚」である。人間が、自然界の秩序と考えている因果律は、人間が「慣習」にもとづいて自然の現象をつなげあわせて考えているだけの主観的なものであり、客観的な秩序ではない。ヒュームは、道徳も人間の本性によるものではなく、人間の「慣習」によるものと考えた。『人間本性論』
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(※9)
イマヌエル・カント(1724年ー1804年)
東プロイセンのケーニヒスベルクに生まれる。カントは、『純粋理性批判」の中で、人間の理性は推論の能力のことであり、そのため、人間は、経験することができない世界の全体像までを思い描こうとするが、そのことは必然的に、解答不能な「アンチノミー」(二律背反)を導いてしまうことを明らかし、伝統的な形而上学を終わらせた。また、カントによると、「何が善であるか」は、理性の能力によって言い当てることができる。人間は、善き行為を意志し、自分の行為の基準を、普遍的な善に合致させるべきである。カントは、人間が、道徳行為を意志し、行為できるということが、人間が自由であることの証であると考えた。『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』『永遠平和のために』
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(※10)
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年ー1831年)
ドイツのシュツットガルトに生まれる。ヘーゲルは、人間の欲望は、自我の欲望であり、そのため、人は、自己中心性を持つが、道徳や社会的規範など、自己の外からの要請や義務がなくても、自分の自己中心性を、社会へと開放していくことができる存在であると考えた。このように、ヘーゲルは、『精神現象学』で、人間が、自分の自由を自覚し、他者との「自由の相互承認」を実現していく過程を、明らかにした。『精神現象学』『法の哲学』
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(※11)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844年ー1900年)
プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセンに生まれる。キリスト教の思想が、その根底に「ルサンチマン」(弱者のうらみや反感)を持っていることを指摘し、ヨーロッパの道徳思想が、反動的なものであることを明らかにした。ニーチェは、自分の望むように生きることのできない人間が生み出すルサンチマンを克服するための「超人」思想を提唱した。『ツァラトゥストラ』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『力への意志』
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(※12)
エトムント・グスタフ・アルブレヒト・フッサール(1859年ー1938年)
オーストリア帝国プロスニッツに生まれる。ユダヤ人。「現象学」の創始者である。方法的に独我論を徹底することによって、世界は、客観的なそれ自身の存在や意味を持つものではなく、世界を認識している主観にとっての、その都度の意味を持ったものとして存在することを明らかにし、真理問題を、信念対立の調停の問題へと編みなおした。『現象学の理念』『デカルト的省察』『イデーン』『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』
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ARTICLE DATA

更新日
2010年08月27日
CATEGORY
竹田青嗣先生インタビュー
EDITOR
柳井

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