竹田青嗣先生インタビュー - 哲学が世界を変える! - 5

多くの日本人は、激変する労働環境など、社会の急激な変化に戸惑っています。しかし、かつて学生運動が全盛だった時代とは異なり、現在の日本の若者は、社会運動にほとんど可能性を見ていません。これは、社会への関心を持っているにもかかわらず、わたしたちが、自分と社会のあいだに、明確なつながりを見出すことができないからではないか。このような状況の中で、これから、わたしたちは、自分と社会をつなぐ言葉をどのように編みあげていけばよいのでしょうか。

現代社会では、「承認」は最も切望されるアイテムになるけれど、最も困難なアイテムでもある。

いまいろんな場面で、若い人たちがぶつかっている困難のキーワードとして「承認」ということが言われています。時代的に「承認」の不安があると。それについて言うと、人間の欲望は、「自我」の欲望、つまり自己価値欲望に本質をもち、したがって「他者の欲望」、つまり、承認欲望だというのは、ヘーゲル(※1)が取り出したきわめて核心的な人間の原理です。昔はそれほど「承認」は大きな問題にならなかった。共同体の枠組みがはっきりしているところでは、だれもがいちおうどこかの役割におさまるようになっている。ただし排除された人はそれで終わりで、はっきりしていた。共同体のメンバーとして残っている人には、立派な椅子でなくてもそれぞれイスがあって、そのどれかに座ると、そこにいちおう「承認」がくっついていた。共同体的な生活空間では、役割関係を果たすことがそのまま共同体的「承認」とつながっている。どこかのイスに座ったら、そこに座っているということがもう「承認」を含んでいる。

しかし、今は共同体的な生活空間がますますなくなっていく時代です。まず、どういう仕方で、他人から「承認」をうるかを各人が自分で設計してやっていくほかはない。つぎに、競争原理が大きくなるほど、「承認」の欲望もどんどん膨張する。欲望は強くなり、その方法は難しくなる。するととうぜん社会生活はますますストレスフルになる。あえて言うと、昔は、男の子だったら、自分のお父さんのようになれればそれで「承認」されていた。今は、お父さんのようになっても自分も面白くないし、家族も、周りの人も、ぜんぜんリスペクトしてくれない。

もう一つ、少子化の傾向は家族の構造を変えてゆく。一人っ子、二人きょうだいは、親との間で「承認」の垂直関係や三角関係を作りやすい。また競争社会では、期待値もますます高くなり、それに応じて期待に応えたいという欲望も強くなる。俗に言う一番になりたいという欲望ですね。ナンバーワンでなくても、オンリーワンならいいというのは、こういう状況へのいわば対抗思想です。また、もう一つは、現代は、「カッコイイことは素晴らしいことだ」の時代でもある。これはニーチェ(※2)のいう「ディオニュソス的生」というやつです。苦悩もあるかもしれないけども、それでも生きるということには意味があり、なるべく高い生き方をするように望む。その反対が清く貧しく美しくという宗教的生ですね。ポストモダン思想は、相対主義的なニーチェと、ディオニュソス的ニーチェの二つの要素でなりたっている。近代社会では、若い頃に、思春期くらいからたとえば音楽を聴いてしびれる、という体験はますます一般的になるから、若者は、カッコよいものへの憧れの中に、生の本質的ロマンを直観する。少し前に、マイケル・ジャクソンの「THIS IS IT」という映画を見に行ったら、めちゃくちゃカッコ良かったけど(笑)、ダンスと歌の中に、人間のエロスの力が、爆発的に煌めき出す。生きることのほんとうの力、エロス的な自由の本質があるという「直観」を作り出すような何かがある。昔だったらもっと古典的に、詩を書いたり、小説を読んだりして、そこに「ほんとうのもの」を直観していた。

現代社会では、そういうカッコよいものへの憧れの中に、人間の生の「ほんとう」を直観するというのが普遍的な構造になっている。それは、自分もああいうカッコイイ存在、凄い存在になれたらどれほど素晴らしいんだろうか、という欲望をかきたてる。しかし逆にいうと、そういう存在でないもの、平凡なもの、凡庸なものへの無価値さも際だってくる、そういうことが裏腹になっている。つまり、「カッコよいは素晴らしい」を、私は支持するけど(笑)、それが「ふつうの人生なんてサイテー」に転化する可能性もあるから、なかなかやっかいです。現代社会では、「承認」は最も切望されるアイテムになるけれど、最も困難なアイテムでもある。

ここには、じつはもっと根本的な問題としてシステムの問題があります。市民国家としてのシステムの問題とは、いかに持続的に一般の人間の実存の条件をあげていくかということだけれど、これはハンナ・アーレント(※3)という思想家がとてもよい言い方をしている。人間の生の根本条件、を「労働」「仕事」「活動」とおいた。「労働」は生存の維持のための最低の必要性です。「仕事」は、生存を便利にしたり、快適にしたりするための働きです。そして「活動」は、社会的な行為ではあるが、それが同時に人間の「自由」を最もよく発現するような「営み」です。この考えは分かりやすい。昔は「労働」と「仕事」をしていれば、それだけで「承認」があった。ところが今は、「労働」や「仕事」は、いわばどれだけもうけるかというマネーゲームの成果に還元される。社会の「一般価値」が一元化すると、人間のどんな営みも、どの程度稼いでいるか、という度合いとしてだけ評価される。「活動」も、やはり社会的な才能とか表現能力として、"サクセスゲーム"の体系に組み入れられる。「承認」の危機は、じつは現代社会の人間の「価値」が一元化しているというシステムの問題に、大きく規定されているわけです。

現代社会の価値の一元化は、マネーゲーム(どれだけかせぐか)とサクセスゲーム(どれだけ社会的承認をうるか)に象徴される。若い頃のロマンも、どこかで、承認をうることが「カッコ」よいことだとまぎれてしまう。価値の一元化は、またそのまま「欲望の一元化」につながる。お金をもうけることがカッコよいことだ、と直接感じている人はそれほどいるわけではない。しかし社会的承認をうること、みんながすごいとみなすようなカッコよい存在になることが、素晴らしいことだ、という感受が、「一般欲望」の形成のプロセスです。コジェーヴ(※4)という人は、ヘーゲルの「承認欲望」からこれを「他者の欲望」と呼んだ。人は他者一般が憧れ欲望するような存在を欲望する、です。つまり「他者の欲望」とは、「他者からの承認の欲望」であるとともに、「他者の欲望するもの」への欲望を意味する。

近代社会は、いろんな生き方を解放するから、一方で欲望を多様化します。しかしちょうどさまざまな財が普遍交換されることで、貨幣という一般価値が形成されるのと同じ原理で、さまざまな欲望が普遍交換されることで、欲望の一般化ということが起こる。カッコよいもの、すごいもの、つまりみなから大きな承認を受けるものだけが、ステキなもので、あとはすべて"平凡で凡庸なもの"になる。「労働」や「仕事」はどんどん無価値なものになってしまう。「活動」は、その原義としては、たしかに精神の自由のエロスが発現するような場面なのだが、一般的な社会的承認のゲームの中では、ふつうの人間のふつうの人間的承認と了解の場所は、ますます極限されてくる。

現在なにより新しい社会構想が必要だと言ったけど、社会が豊かになるとは、単に普遍消費や一般福祉が上がっていくだけでは済まない。生活水準だけで言えば、日本は30年前とくらべると、格段に豊かになっている。ほかの貧しい国とくらべると考えられないような経済水準です。しかし、普遍消費がいくら上がっても、一定の水準を超えるとその向上はもう人間の生活の豊かさにほとんどつながらない。そのことがどの先進国でもはっきりした。豊かさの"限界効用"の原理がはっきりした。これは二十世紀の社会がわれわれに示した大きな教訓です。どの国でも、マネーゲームやサクセスゲームによる社会価値の一元化が起こり、それにつれて、「欲望の一般化」が現われてくる。たとえば、生産性の飛躍的増大があっても、人口爆発がこれと並行するなら、結局なにも変わらないどころか、資本主義全体としては危機が幾何級数的に増大してゆく。これとおなじように、生活水準、つまり国民所得がいくら上がっていっても、一般欲望の競争原理の構造が変わらなければ、経済の規模が大きくなるだけで、生活の豊かさの感覚は上がらず、なにより「承認」の質もますます貧しいものになってゆく。生活水準は上がってゆくが、人間関係のなかでの「承認」はやせてゆく。個々人の生活の中で、関係的な「活動」の領域が広がらず、結局労働と仕事の部分だけが大きくなる。上位の競争の場面だけはますます華やかになるために、不遇感は逆に広がっていく。こうした社会の価値の一元化をどのようなアイディアで多元化してゆくことができるかが大きなカギで、これは新しい社会構想の必須の問題だと思います。

(第6回に続く)

脚注

(※1)
ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770年ー1831年)
ドイツのシュツットガルトに生まれる。ヘーゲルは、人間の欲望は、自我の欲望であり、そのため、人は、自己中心性を持つが、道徳や社会的規範など、自己の外からの要請や義務がなくても、自分の自己中心性を、社会へと開放していくことができる存在であると考えた。このように、ヘーゲルは、『精神現象学』で、人間が、自分の自由を自覚し、他者との「自由の相互承認」を実現していく過程を、明らかにした。『精神現象学』『法の哲学』
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(※2)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(1844年ー1900年)
プロイセン王国領プロヴィンツ・ザクセンに生まれる。キリスト教の思想が、その根底に「ルサンチマン」(弱者のうらみや反感)を持っていることを指摘し、ヨーロッパの道徳思想が、反動的なものであることを明らかにした。ニーチェは、自分の望むように生きることのできない人間が生み出すルサンチマンを克服するための「超人」思想を提唱した。『ツァラトゥストラ』『善悪の彼岸』『道徳の系譜』『力への意志』
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(※3)
ハンナ・アーレント(1906年ー1975年)
ドイツに生まれたユダヤ人。アーレントは『革命について』の中で、近代に起きた革命を分析した。アーレントによると、革命の目的は自由の創造である。アメリカ独立革命は、統治形態の変革を目的とし、政治的自由の実現に成功したが、フランス革命やロシア革命は、貧困などの社会問題を革命によって解決しようと考え、本来の目的である自由の創設が二の次になってしまったため失敗に終わったと考えた。『革命について』『全体主義の起源』『暴力について』『人間の条件』
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(※4)
アレクサンドル・コジェーヴ(1902年ー1968年)
ロシアのモスクワに生まれる。コジェーヴは、ヘーゲルの『精神現象学』を解読し、人間的な欲望とは、自己承認の欲望であり、自己の人間的な価値を、他者から承認されることを欲望することであると考え、ヘーゲル哲学の意義を現代に復権させた。コジェーヴのヘーゲル講義は、サルトルやポンティなど、フランスの現代思想家に影響を与えた。『ヘーゲル読解入門』
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ARTICLE DATA

更新日
2010年09月02日
CATEGORY
竹田青嗣先生インタビュー
EDITOR
柳井

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